肩甲骨の下まで
肩甲骨まで伸びた髪をばっさり切ってしまった。気分を切り替えようと思ってやってみたら、効き目抜群。鏡に写った私は、ザンギリ頭の子どものようで、さっきまでしどけなく鎖骨にとぐろを巻いていた黒髪がない。安珍清姫じゃないけれど、女の髪は煩悩なのかもしれない。長いこと長くしたことなどなかったのだから、また短い髪にしたら前のキャラクターに戻ったみたい。長いこと無理やり色気年増を演じていた子役のようなものだったし。「長いときは臈長けたかんじでよかったのに、また元気な子に戻ってしまったね。」夫にあんまりがっかりされてびっくり。そんなに髪の長い女が好きだった?でも、また伸びるよ、生きていれば。
もう10年通っている近くのスーパーに、黒澤さんというレジ係の人がいる。越してきたころから、レジ係で、パートなのか社員なのかわからないけれど、応対が抜群。とても乾いた親切心できちんと対応してくれる。中高の地味な顔立ちの小柄な女性、修道者のようにストイックで、乾いた温かい笑顔でレジを打つ。彼女がレジだと嬉しい。また会えたなと思う。かなり嬉しい。こういう愛の形はなかなかいいと思う。
温度とエネルギーの低い愛をたくさん、そういうのが平和でお行儀がいい。
私はそうはいかない。安珍清姫のようになってしまう。執着と愛の区別がつかない。心には確実に修羅がいる。反省しても、ひどい目にあっても修羅は消えず、平和な時間を破壊する。
疲れはてて
疲れはてて、お腹を下だす・・・胃腸が弱い・・・。
ココアの手触り
ココアが大好きで、はちみつとココアが家にないと落ち着かない。甘いもの甘いもの・・・と思うときにまずはちみつとココアがあれば満足。で、ココアを買うときに、いろんなタイプがあるけど、袋を握ってみてキシっとするのがいいなと思う。顆粒だとカサッとしてさらさらしているんだけど、片栗粉のようにキシっとしない。粒子の違いなんだろうけど、ヴァンホーテンでも森永でも、純ココアはキシっとするけど、ミルクココアはしない。キシっとしたココアをはちみつで練って、お湯をいれたのが好き。次に好きなのがマナツでもおしるこ。あずきもいつも家にあって、コトコト煮ておく、暇があれば。レンズ豆や白えんどうを混ぜてもおいしい、豆腐にかけてもいいなあ。そばがきのおしるこなんて、もう大好き!豆とか木の実、草の実の日向臭いかんじが好きなんだと思う。ごぼうや里芋、レンコンが好きなのも土の味がするからだろうか。飯砂ってあるらしいけど、美味しいのかも。
In other words、ily・・・
ルークとキスしたレイア姫が「なんだか弟みたい」って言う。ルークに恋していると思っていたけれど、キスしたら違った・・・みたいなニュアンス。ところで、日本人はキスの仕方をどこで学ぶんだろうか?正しいキス講座、とかってやってるの?
赤ん坊がお乳を含むように、誰でもその場になれば、それなりにできるんだろうか?とふと思う。キスしてっていうのは、好きっていう意味?違うのかも??
Fly me to the moon・・・in other words, daring kiss me・・・♪
制服の効用
一群の女子学生がホームに降りてきた。みんな同じ制服を着て、ノーメーク。私服でメークOKの学校も増えているみたいだけど、彼女たちは、昔ながらの学生だった。20人ほどの女の子たちは、若くて可愛らしく、少女っていいなと思う。化粧をしていないので女の子としての器量はあんまりわからないモノクロ顔っていうかんじ。中にはモノクロでもきれいな子というのはいるけれどね。
制服の良いところは、着るものの心配をしなくていいこと。そして人の外見と個性のマッチングを経験できることだと思う。同じものを着ているので、個性が際立つ。顔立ちの系統というのは、100人もいればできてくるもの。ああいう顔の人はこういう感じ、こういう顔の人は・・・大人になってもなんとなく統計的な感覚が身についているのは、制服のおかげだろうと、この頃思う。無意識に第一印象でグループに分けているようで、後で違ったなあと思っても、巡り巡って第一印象に戻ることが多い。
ミーメ
人間じゃないけど、ミーメになりたい。本当の愛じゃなくて、情けや同情で傍に置いてもらっているんだとしても、なんだか個人的な関係ってかんじがしてステキ。
浮雲
あの森雅之は深刻ぶっておいて、いい加減ですごい。さすが有島の血なのかもしれない。ああいう風に裏暗くて、世間の渋味を味わいつくしたようでいて、不誠実に徹底していい加減に生きている力なき男は、今更いない気がする。挙句腐って蛆の塊になってなくなってしまう勢い。昭和の人は胆力がある、ただ腐るにしても。日本映画史上もっとも知的な二枚目というけれど。二ヒルを気取って目の前の人間の不幸など、自分の精神にはまるでなんの影響もないとでもいうように。裏切られても捨てられても結局着いていった女が雨ばかりの南の島で病気になって死んだ時、ついに男は傷ついたろうか?それさえできれば、女は満足だったのかもしれない。何を言っても、去ってみても、自分の力では一筋の傷さえ付けられないことに、彼女は絶望していたんじゃないのか。成瀬は何を言いたかったのか?高峰秀子が演じたから、なおのこと、その女の正気がすさまじい。破滅の道程を選び、男について行くすごさ。モロッコのディートリッヒのすごさも、正気でハイヒールをぬぎ、傭兵隊についていくベドウィンの女たちの荷物を、自分も担いで砂漠を歩き出すところだったんだけれど。