感動しない

このごろ、感動しない。

それは、関心の範囲が狭いからなのか、感受性そのものがなくなっているのか、体力がないだけなのか・・・脚が痛いということと、かなり関係が深い。

脚が痛くて、感情が麻痺しているわりに、理屈ばかり立ってしまう。座っていられず、寝ていてもつねに痛く、横になっているけど、起きている。立っているか、歩き回っているときだけは、まあまあ鈍るものだから、やたらに立って歩き回っているからなのか、原稿のフレーズを歩き回りながら、唱えて、座って書いて、底抜け脱線ゲームのように、痛みを回避しながら仕事をしている。

慣れてきた。治ってきたというよりも、だんだん痛みが閾値下に追いやられてきているような気がする。この痛みも私の要素のひとつになってしまって、なんとなく左側が堅くこわばった人間性を形成していく・・・でも、実は体は痛いので、その部分が消耗していて、感情が枯れてきている。なんとなくもの悲しい老けたばあさんになっていく、そうならないという選択肢がないような気がしてきた。

しょうがないので、郷愁の力を借りようかと、数年前に出た寺山の「思想への望郷」などを取り出してみたりする。寺山修司の言葉を追っていると、頭が冴えて、すこしましな気分になるのは不思議だ。この本は、吉本隆明との対談が圧巻で。

からっぽ。