感情移入

他人の情報としての苦しみを体が受け取ってしまう性分をどうにかしないと、映画でお腹を蹴られるシーンを見ると、お腹が本当に痛くなってしまうみたいな・・・客観情報と主観的な現実の区別が、感情的にできないのは、きっと病気。だから韓流とか渡る世間に・・・が見れない。他人の苦しみを見ると、自分も辛い。耐え難い、どこかに逃げてしまいたい。

そういうエクストラな状態は、ニーチェの言っていたこと?感情を交歓することができれば、超のつく状態がつくれる?中沢新一が言っていたことも?感情の量質が酷似していて、まるで自分の感情のように動く心をもつ人を見つけたら、それが扉なのかも。周波が増幅される、掛け値なしの超幸福。恋愛の完成形なのかも。芸術と似ているのかも。