蜘蛛の糸

年末の都心の空気。人がいないから、空気にも余裕があって、澄んで、大陸の寒気が入り込んでくるのか。

でもそれにしては春のような重い空をしている。地上に垂れ下がるように厚い雲が、曖昧なこもったような光り方をしていて、天使の梯子・・・光の柱が降りてきている。オランダの光、という奴だ。

多分こういう空をした春の日に、横に飛ぶ細い光を見たのかもしれない。空中でキラリと光る細い光、それの正体は昆虫のたんぱく質に過ぎない。羽虫の体を構成していたケラチンが天敵の体を通って、今宙を飛んでいる。春だけの光景。春の空中を滑らかに飛んでいく細い光。

この典雅な光景が、一転して地獄絵に転じるところが、またすごい。血や汚物や腐臭のただよう地獄の池から、犍陀多(カンダタ)は、細い光の糸を辿って天をめざす。

体についたおぞましいどろどろした地獄池の痕跡は、彼が空に近づくにつれ、まるで脱皮をするみたいに、かわいてガビガビになって剥がれ落ちていくんだろう。赤黒い醜い皮が、すっかり落ちてしまうと、春の曖昧な日差しの中で赤ん坊のように白く生まれ変わった体で、天空を目指す。ふいに、ただでさえ細い糸が下にむかって引き伸ばされる。弦が高音域に移行するときのように細く、儚くテンションがかかる。恐る恐る下を見ると、赤黒い男や女が、糸の先端に取り付いているのだ。

カンダタの糸が切れてしまったのは、後に続くものを拒んだから・・・?本当に?
もう少しで天界に届くところで、きっと彼を助けあげようと、天から無数に延びていた救いの手に上手に取り付けなかったからなんじゃないかと。糸なんて頼らずに、瞬間に他の方法にシフトすればよかったんじゃないかと。

やっぱり蜘蛛の糸は、蜘蛛の糸にすぎず、見た目どおり頼りなくナンセンスなツールだったのだ。意外にマイティな救いの手段だった・・・というオチはつかない。何万人でも何億人でも天に引き上げるような、力がある糸だったみたいな・・・地球を吊り上げろ!ナンセンス。

天の助けを願っても、どれがそれなのか、見極めることもできない。下で何がおこっても、天の上の人は、関心をもたない。もたないように見える・・・というのだ。まだ天上人がいた時代の、感覚・・・それでも見えてしまう本当の社会構造へのひそかな暗示?よくわからない。

時代のドグマに冒されない魂というものが、あったのかどうか、いつもそれを知りたいと思うのだが。芥川なら?あるいは?

どれが助けなのか?意外なものだったりするかもな、と作家はおもったりしたんだろうか?この本をもう一度、ちゃんと読もうかとおもったりして。蜘蛛の糸/杜子春改版 (新潮文庫) [ 芥川龍之介 ]