さて、思い切ったことを言い切ってやるぞデー

いつもこそこそしているわけだが、大言壮語をぶっぱなすことにした。やけっぱちなのだ、今日は。

クラシックファンの方にしてみたら、モーツアルトはどうもピンとこないなんていうことは、ケツに殻のついた未熟なやからに言われたくないわい、というようなことなんだろうけど、殻もカラザもつけたまま、やはり思うのは、ナンカあの人外していないか?ということなのだ。

「喜び」とか「悲しみ」「恨み」「恋心」というのは、素人でもヒヨコでもイメージしやすい感情だと思うけど、モーツアルトってわざとその気持ちっぽい音を使わないで、作曲しているの?恨み骨髄の歌詞がまるで春のピクニックのようなメロディで、恋の高まりを、退屈な説教のような抑揚で唄われるのが、イライラする。わざとツボを外して、でも耳から入る歌詞は感情を語らせて、異化効果を狙ったりしているんだろうか?ソレが複雑にしてアンビバレンツな人間感情をリアルに表現していて、高度なんでしょうか。単純にアリアでもなんでもこの曲好きだなあ、と思う曲がなくて、だから、きっと体質的にピンとこないのかも。耳が優雅にできていないのかもしれない。音楽バカとしての彼の生涯はすごく面白いと思うけど。

素養はないんです、ただいろいろな場面でモーツアルトを聴くたびに、なあんかどうしてだろうな?って思うだけ。いまや人だけでなく牛も酒も聴いているわけだけど。

「別にどれでもいいけど、決めろっていうから、じゃあこれ」というエライ人の意見で、世の中のほとんどが廻っていることも。だから褒められて喜んでいる人をみると、なんかだんだん切なくなるじゃん。

モーツアルトは天才なんでしょ!いいじゃん、それで。





ものすごく魅力的なのはわかる。彼に洒落た二枚目を演じて見せて欲しいとも思う。

エイドリアン・ブロディもそうだけど、俳優としては出るものは全部見たいし、目が離せない。大好き、といってもいいんだけど。

でも彼らを愛せるかというと、ちょっと考えてしまうんだなあ。ことさら愛するということになると、例えば孤独で陰のあるジャック・ガンブランや、純粋培養なヨアン・グリフォスは単純に「愛」を感じるんだけど、ラッシュやブロディは私ごときの懐に入れるような小さな気持ちでは見られないというかんじがする。いずれにせよ大スターじゃないけれど。

彼らを愛する時がくるとしたら、何か妙なスイッチが入ってしまって熱愛エネルギーが発動したときしかないかもしれない。そうしたら怖いくらい好きになってしまったりするのかも。24時間DVDを見続けるとか・・・するかも。

何かを愛するには、その愛のコネクターがないといけない。それがないところにはまるで反応しないわけだ。コネクターをつくることはできるのだろうか?科学はいろいろな人の嗜好を繁殖システムにつなげて解明しようとしているけれど、ラッシュのあの不気味な笑顔が、私の海馬関係を警戒させ、彼との間に愛を発生させまいとするのかもしれない。

ダメだと思ったらすぐやめる・・・そうしないと人生が終ってしまう。

もちろんラッシュにもブロディにも私に(!)愛される可能性がないというわけではない、でも多分時間がかかるし、かなり確率は低いのではないだろうか。シャイン [DVD]ピアノソロ 戦場のピアニスト (ピアノ・ソロ)本能をたばかって、脳の深いところに化学変化を起こすには、なかなか策略がいるってわけだ。

このごろ金周りのいい人は、男女問わず大抵ネイルをしている。

欧米文化圏の階級社会では、爪と靴、コートの仕立てを見て、客の値踏みをするらしいし。

爪に神経を使うっていうのは、ヒマがある証拠だもんなあ、3時間も爪のためにサロンに座っているなんて・・・不可能。爪が汚くても、死なないし。

家にはいわゆるネイルのセットがちゃんとあって、子どもたちの爪はそれで手入れをしているけれど、自分?もう切りっぱなし。サロンも10年くらい行かないし。

私の手は、完全に筋張った労働者の手で、もうリカバリー不可能。

優雅に働く女性たちの、筋のないふっくらした手、すんなりきれいな肌を見ると、思う。

手がない、というときの「手」は私のような女の手だし、原稿を書いているのも手だし、手ばかりが労働をしているんだもんなあ。それなのに手入れをする暇がない。

荒れて、小さくて、筋張ったおばあさんみたいな手が、かわいそうに思える。

でも・・サロンを予約する心の余裕がないし、自分でするにも、暇がないし。第一荒れているからイタイだろうし。どこから手をつけていいやら・・・。





初めて会う人と仕事の話をする。
ピン勝負だから見た目で信用してもらうしかない。
まあまあの仕事をするだろうというのは、印象しかフックがないわけだ。

ではできるのか?わからないこともある。人と会って、相手にナメられたと思ったとき、
ちょっと落ち込む。でも仕事は発注されたので問題はなかったのだけれど。
「君はその人のことをどう思ったの?一緒に仕事をするなら君の感覚が大事だよ。
相手を気に入るか、気に入らないか?その方が大切だって思わないと。」
彼は私が自信のないふりをして自分を護ろうとしていると思っているけど、そうなんだろうか?

誰かに会う度に、私はセルフイメージを更新していく。
でも「私は相手をどう思うのか」という方向もあり?もう我慢しなくてもいい?

弱いフリは半年見ていると臭うんだろうか?やる気がないか、狡猾だと思われているのかもな。
鏡から鏡に姿を映して歩くみたいな・・・それはなんだか悲しい。













SATCのパート2の試写状が着た。28日に試写会をするみたいで・・・トレーラーを見ていたら・・・あららすごい。http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/4884/6.html


舞台がアブダビで、ビックと結婚してマックスハッピーなキャリーをまたエイダンに引き合わせるじゃない?テレビでは子持ちになった彼と再会して、もう完全に終わった、季節は過ぎ去ったって・・・ピンを外した爆弾処理班なみの安堵だったのに。また再燃?旅先で?そしてそういうことなら、火遊びするでしょうね!絶対するよね?

おとぎ話だし、アメリカ映画だし、60年代生まれの抱える危うさ、モラルに頼れない判断みたいなものが人生を辛くすることもあるのかもな。自由な考えってもろ刃の剣で、しかも持てるものは反省もしないで、欲しいものは全部手に入れる。きれいで有名でおカネがある精神的に奔放な40代の女は無敵。なんだか予告編を見ていただけだけど、マシンガンに水鉄砲で対戦しているような気がしてしまった。

エイダンにまた戻る?エイダンもエイダンよね!そんなに彼女はかわいいんだろうか?
トロイのヘレンか!2人の本命を行ったり来たり、まるで戦国時代の領地争い。あっちの陣地になったりこっちの陣地になったり・・・することは同じなのに。

フィクションですから・・・アラフォーのあけすけなファンタジーみたいな市場狙い?ああ・・・。

あとはあれね、自分がどちら側の人間かということ。魅力的な夫を奪う女なのか、奪われる女なのか。行動は別としてどちらの岸辺に立っているかってことなんだろうね。

無印良品の人が叫んでいる「人気商品ブールドネージュ、試食をお出しています!ぜひご利用ください!」
バターとナッツパウダー、片栗粉、砂糖と小麦粉をまるめて焼いたサンドクッキー(砂みたいな歯ざわりの)で、くちどけがよくて美味しい、子どもでも手で丸めてできて簡単なので、わりと作るお菓子。無印のもシンプルで美味しい、すぐなくなるけど。
で、その人は本当に声を枯らしてて・・・ノルマがあるの?100個売らないと帰れないの?
「みなさん!おなくなりになる前に、ぜひお求めください!」
たまたま前を通りがかった3人が同時にブッ!と吹き出した。

死ぬ前に一度は経験したほうがいいほど?そ、そんなに美味しかった?ココア味。

ファミマでも売ってる?かも。
http://www.muji.net/

浅草には、銭湯の料金で入れる源泉かけ流しの温泉がある。隅田川に沿って火山性のものとは違う鉱泉があって、それを沸かして使っているのだけれど、湯量がすごい。で、それではと子どもと行ってみた。午後2時半、空いているだろうと思ったのは、地元のおばあさん連中だけではなかったのか、湯船はわりと満員。無理やりなかんじの露天風呂があるんだけど、そちらはおばあさんで一杯だったので、おばあさんがまばらな屋内風呂に入る。石鹸がないので、もう洗うとかなんとかはあきらめて、熱めのお湯に。子どもにはかなりの高温だったみたいで、はなかなか入れない。茶色のほうじ茶みたいなお湯で、洗い場の湯も温泉という徹底ぶり。汗で浮いていたせいもあるけれど、ファンデーションなどの化粧が、鉱泉水で洗っていたらきれいに落ちてしまった!えええええ!すごい洗浄力。

すしや通りのちょっと奥、なんだかすごいね、東京って。