三島は太宰が嫌い

どうしてかというと、斜陽なんて書いてみても、本当の東京の山の手の生活を知らないから、ありえないことが描いてあって、不正確だから、なんだって。要するに彼が東京ローカルじゃないのに、郷土ものを書いたのが気に入らないってことか。いろいろな理由があるけど、まあ、ある意味では郷土愛みたいなことなのかもな。でも太宰にとって、東京の山の手は、絶対に誰の郷土でもありえないんじゃなかったか?誰かが生まれた土地の話というよりは、山の上のファンタジーだったのかも。庭先でおしっこする奥様とかは、ともかく。怒ってないで三島も勝手にフィクショナルな「津軽」を小説にして応戦したりすればよかったのに。

東京ローカルの気風は、いわゆる江戸っ子じゃなくても存在する。でも「東京ものは根性がないから、物事を途中でやめるな」と言っていた人がいた。ニュートラルな人が多いと思う。あふれ換える刺激と変化をシャットダウンして、淡々とマイペースで生きていかないと、街の勢いに振り回されてしまう。まさに、目の前にある道端のタンポポだけにキモチの照準を合わせていないと、いつ春がきたかもわからなくなる。だから少し鈍くて、茫洋としているのかもしれない。

知覚を厚い甲羅で覆い愚鈍に暮らす。どこにビルが建とうが、橋がかかろうが、本当の私のただ今の関心は、土手にいつ土筆が出るか、ということだけ。

お彼岸だけ、虎屋で生菓子を売る、というのはでも、重要。