幸せメーター

ミライの世界なのである。子どもが生まれると通称「幸せメーター」と呼ばれている小さな家電が国から支給される。それは10cm四方の箱に入った電子頭脳で、女の子ならピンクに青いヤグルマギクが、男の子のはブルーに飛行機が描かれている。

その電子頭脳には、生まれた子どもの遺伝情報があらかじめインプットされていて、これから子どもが体験する環境をあらかじめ測っておくために使う。成長につれ、いろいろな個人情報を入力して、いつでも「身代わり」になれるように手入れするのが、子育てのキモなのである。年に一度は血液情報などの健康状態から、発育度合いがわかるように声や、行動様式などのデジタル情報入力を怠ってはいけない。

初めての集団生活なんかの場合、保育園に入る前など、その保育園の教室には、入園前の子どもの「幸せメーター」が置かれていて、そこにいたら、空間的に、人的に、どんな風にその子が感じるのか、幸せになれるかどうかを、数値でチェックできるようになる。集団生活をチェックする場合は、生活局面の可能性が膨大すぎるので、親はあまり神経質にならないようにと、行政から注意をされている。

一番威力を発揮するのは、就職、独立した生活だ。職業への適性については、子どもが大人になる前にほぼ無駄なく、適材適所を決められてしまう。

しかし、仕事よりも複雑さを極めるパートナー探しは、お互いの了解のもとに、まず「箱」と生活をしてみる。お互いの箱がいい感じの数字をはじき出せば、まずまずの共同生活が可能だ。そのほかの相性については、とっくに調べていて、繁殖の時期なども体質別の最適年齢などまでわかっているわけだが、いかんせん日常生活の快適さ、幸せ度というのは、やってみなければわからない、シミュレーションの装置が、幸せメーターの究極の役目なわけである。

つまりこれから一週間、私は古ぼけた飛行機柄の青い箱と生活をするわけである。しかもまるで人間のように本気で箱相手に生活して情報を提供することになっている。相手も同じように私の箱と生活をしているのだろう。箱には、食事の時も、味見をさせるわけで・・・塩分濃度、アミノ酸の度合いなどが相手の体質傾向に作用する長期的な予測をするために。生活というのは、瑣末なことの積み重ねだから、いつのどんな小さなことが決定的な要因になるとも限らない。大人になると、こういう箱を交換して暮らすことが何度かあるものなのだ。まさか初めてではないけれど、箱に本気で愛情を注ぐのは、なかなか慣れるものではない。

つつがなくテスト生活を終えて、結果を待っていた。こちらの環境はまずまずOkなようだ、マッチングOKの可能性は高い。でも私のは問題があった。幸せメーターの針が振り切ってしまったからだ。あまりにも幸せな生活が予想され、私の感受性では耐えられないという解析結果がでた。幸福の度合いというのも数値が大きければいいというものではないことが、最近の精神・神経学の定番になっている。極端に適性値をでた場合、それはそれで危険なのだという。特に最近では、幸福感や、安逸さなど時代遅れだと、雑誌にも書いてあるし。

もちろん選択の自由はある。受け止めきれないほどの幸福へ飛び込んでいくのか、平常心を失わずに暮らせる適性な相手をまた捜すのか。

しばらくして、煙を出してショートした私の箱が郵送されてくる。もちろん修理をしなくてはならないけれど、修理代はどこかに請求できるんだろうか?壊した彼に?それはあまりにも失礼じゃないかと、行政に相談する・・・この話を断る場合は、もちろん数字の後ろ盾があるわけだけど、「私にはもったいないお相手で」と断るんだろうか、文字通り・・・という夢を見た。