新しい世界の重い扉

新しい仕事をいろいろもらう。

新しい人と、新しい仕事というのは、ちょっとした冒険だ。仕事は、いつでも飛び込むのに勇気のいるものばかりで、それは多分私が臆病だからなんだけど、重い心の扉を押して、中に入るのに根性がいる。

そして後悔する。こんなに大変なら引き受けなければよかった。呆然として、言葉もお作法もわからない新しい世界に戸惑い、とにかく必死で学習する。わかったようなわからないような頭のまま、企画書を書いて、取材をすすめ、原稿をつくりあげていく。締め切りをすぎるころには、にわかエキスパートになっているけれど、実はその頃にはすでに旅支度で、次の世界の重い扉を後悔満載で押している・・・これの繰り返し。常に次の場所をめざして、荷物は旅支度のままだ。

旅仕様の人間関係しか持ち合わせていない。

でも、この1月、同じ会社に通い、同じ仕事をしながら、同じメンバーと仕事をしている。もちろん座っているのは、私のデスクではないし、PCも誰かが使っているものを、半分借りている形になっている。いまだに何がどこにあるか、よくわからない。たまたま人手が足りない会社だから、私でもちょっと便利に機能してしまっている。錯覚なんだけど、自分がとても必要な人間のような気がしてしまう、そういう場所だ。私がいなくなれば、ここには別の人間が座り、きっと立派にみんなやっているのは、わかっているけれど、この椅子から動きたくない、やめたくない、と思っているのに、驚く。

荷物を解く気になっている。もちろんそんなことされても会社は困るだろうが。社員になるなら、相談にのるけれど、これまで1人で自分のペースで仕事をする人生だったから、束縛されるのはいやだろうと、スタッフに言われたけれど、それもそうかもしれない。

今日は、予定より早く会社から出た。解きかけた荷物をまたしっかりくくりなおし、当座必要なものだけを宿のベットにならべて整理するみたいな気持ちだった。

また1人になっても、孤独に潰れないように、次の扉を押して中に入っていく勇気を失わないように。結局私の才能は、この一点かもしれないから。つまり、臨機応変な冒険の精神。しかめつらしいおかっぱのトーベに言われなくても、わかっている。自由の代償はつねに孤独。