ラリー

中学生のころ、卓球をやっていたのは、ラリーがとてつもなく面白かったから。

こちらの打った球を向こうで受けて、またこちらで受けて、だからいつもバックハンドで好球を打ち返すことばかりに熱心だった。ずっと続くとしんどいけど、本当に長時間ずっとラリーを続けられる相手は、そうそういなかった。いつもそうしていたかった。できるなら永遠に。

でも、きっと相手は勝とうとする。決め球を打ち出してくる。卓球をしている目的が違うのだ。それを受けとめきれず、好球になおせず、負けてしまう。勝負なんてつまらない。理屈に合わないのは承知で、なんて卑怯なんだと思う。

低いネットを越えて、球がやってくる。勢いを掬い取り、ラケットのどこで返したらうまく力をコントロールできるだろう。相手が打ちやすい、ポイントに調度いい速度で打ち返せるだろう、とその瞬間に考える。そして動き、成功したり、失敗したりする。行った球が好球で返ってくると、すごく嬉しい。そのまま打てばまた返ってくるから。

スマッシュを決めて、すっきり勝ったら、相手はすごくいい気分だろう。でもちょっと悲しくなるのは、相手の勝利を讃えられないからじゃなくて、卓球が終ってしまうから。

どちらかが勝てば終る。だから負けるのも、もちろんこちらから勝つなんてことは、ありえないし、言語道断なのだ。

面白い相手だと思うと、なおさら、勝つなんてありえない。でも目的を知ったら、いつだって相手は見事に勝利できる。ちょろいもんだ。そして勝ちたい人は徹底的に勝って、意気揚々と試合を後にする。

私は去りがたく、電気の消えた体育室の相手のいない台の下に座り込んでいたりする。