百日紅

イエモリキタンという本がある。家守綺譚

梨木香歩の本で、同じ主人公の短いエピソードがいくつも入った本。いい本だと思う、というのは、ページを繰っていくと世界がちょっとずつほどけるように広がっていく。当たり前に死んだ友達の幽霊や河童が出てくるような異世界を覗きみれる。よくできた箱庭を眺めるような。琵琶湖のあたりの話らしいのも縁を感じる。私の父方はそこら辺の出なのだ。行ったこともないのに、狭霧に煙る湖畔の空気が懐かしい。


家の守を頼まれたあまり売れない作家がいて、その男に懸想するさるすべりが出てくる。樹に惚れられる、なんてまあ。すべすべした肌を撫でられているうちに、大きなうろをかこっているような老木のさるすべりが、狂い咲きのような満開の花を咲かせる。激しい紅い花だ。男に懸想して、色めき立ってしまったってことらしい。男にしたらなんの気なしに、撫でていたんだろうけれど、樹の方はそれで想いを寄せて「もののけ」になりかける。風流な男は、ちょっと薄気味悪いと思いつつも、そういう想いがいじらしいと時々樹のそばで本を朗読したり、樹のことを心遣うのだ。それで樹も心のやりどころができたので、静かに男を想うことにしたらしい。何かあると危険を知らせたり、あるときは化身して助けに出たりもする。男も何かと気にかけている。静かな交感がある。雨月物語と似た、憐れなかんじ。

女が人を愛するとき、このさるすべりみたいに懸想するのは美しいなと思った。つい場違いな狂い咲きをして、相手はもののけめいた迫力に、逃げ出してしまうかもしれないけれど。でもその憐れを汲んで、この作家のように、化け物なりに受け入れてくれる度量があれば、沈静化して、長く、ただひたむきな想いを抱いていくことだけで満足できる。何も愛し返してくれなんて、思わない。植物だけれど、なんだかすごくなまめかしくて、いい女だと思う。男が心の中でちょっとでもあてにできるコアをもった女。

私は誰かのコアになる力があるだろうか?それほどに地に根をはっているだろうか?かなり疑わしいだろうと思う。さるすべりは300年くらいは生きているのかな?年季が違うからかも?

こんなサイトがあった。http://kesou.jp/