ネトゲ廃人

「いつも失敗する古い友達がいてね、腕はいいんだけど、肝心なところでかんしゃくをおこして、せっかくの仕事を台無しにしちゃうんだよ・・・。」そしてその友人は、彼の小説の主人公になる。現実では場末の呑み屋で泥酔して暴れて、撃ち殺され、冬の路上に捨てられて凍った死体になったけど、フィクションの世界ではポンヌフの上で女を追いかける。

ああそうね、と思う。私の中にもふたつの時間軸があるなって。ひとつは木曜日の11時までにメールマガジンの原稿を入稿したり、新型インフルエンザについて埋草コラムを書いたり、火曜日の午後に打ち合わせに出かけるというスケジュール。あるいは個人面談や、週末の法事。クラシックバレエのレッスンや学芸会のゲネプロ

そしてそれと同時進行で違うストーリーが流れている。同じ人の言う同じセリフが物語の勢いで読み替えられて、違う役割を演じていく。それは完全に私のお腹の中のことなので、現実には無色に近い誰かの意識や言葉が、なにやら湿り気を帯びたニュアンスをまとって、もう一度私のお腹の中で再現される。

ネトゲにはまった主婦が、二つの人生を生きるうち、廃人になる?という記事があった。私のはそれのアナログ版。
むかしから現実が身の丈にあわない人間は、そうやって目の球を180度ひっくりかえし、頭の中だけを見て、楽しみや悦びを見つけ出す。ひそかに暴力的に思うがままの幻想の人生を楽しむ。

今に始まったことじゃなく、弱い、醜い人間は昔からそうやって生きているんだと思う。
私が廃人かどうか?ある意味半分はそうだと思うな。

フィオナ・マウンテンの新作って出た?