そうとは限らない

おじさんの間で仕事をしていると、私の判断は幼いと思うことがある。反目するたびに、目の前でネクタイをしめて背広をきて、煙をはいている相手は、いつでも正しいのだと、一瞬そうは思う。私の考えとは次元が違うのだと、もっと高位の考えがあって、私の意見など聞いているフリをしているのだと、ついそう思う。内心うんざりしているのだろうな・・・自分の放つ言葉を耳にしながら、もう言っている先から私もうんざりしている。

もちろん、世の中のことは、わからないことだらけ。考え及ばない世界も限りなく広い。科学にだって解明できないことばかり、何かわかっているとしても気がしているだけ、我々は途方にくれるほど無知蒙昧なのだ。ほんとはね。

それにフィリップ・マーロウにだって不得意なことはあるものだ。たとえばバターを使わなくてもコクのでるマフィンの配合とか、新生児の耳の洗い方とか、道草の種類とか・・・そんなこと知らんでもいいのだと、マーロウならば言うだろう。ただ、今の状況にとっては、そんなような一見して少女のロマンチシズムみたいな事にも耳を傾けないといけない・・・かもしれない。思い過ごしならいいけれど、事態はあまりよくない方向に進みつつある。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

ここいらで舳先に立って、前を見てみたほうがいい。視界をさえぎる煙の向こうは、この世の果てでまっさかさま、かもしれないから。そんなことないのかもしれないけど。

ただ話を聞いて欲しいだけなんだろ?って思われるのも、なんだかそれも、ちょっと見当違いで、そう思うのは、思考回路が違うから。結論へたどり着くルートが違うからっていって、道程だけは否定するって?何にペイしているかを忘れないほうがいいんじゃないかと。そういう気配を感じるたびに、あなたは私を雇っているということの意味がわかってないんじゃないかと、思う。

ようするに、そうとは限らないということよ。