ニュートラルスイッチ

取引先と呑んでいて「自己啓発本を読む女とは付き合いたくないよなあ」と誰かが言うと男子が賛同。仕事に支障がなければ、この場の誰とも個人的に付合う可能性もなし、でも微笑みつつ絶句する。え〜みんなそんなに強い女が好きなの〜。

でも日頃の苦しい状態からなんとかして脱出しようとすると、藁をもつかむものです。最近読んだのが成人のアスペルガー症候群の本と共依存症の本。長いこと個人業者をやっているせいで卑屈だったり被害妄想だったりするのかと思っていたけど、むしろ本質的な問題かもしれないと思って。心のコアにある正体不明の憤怒がふとしたことで吹き出してしまいがち。私の思考回路は健全ではない、今の状態を確認しないと、先へ進めないと思っていたりするので、気になることが書いてある本だと、つい買ってしまう。日常的な苦しみや無理なかんじから早く離脱したいんだもの。

感情が両極端で、自分の感情に振り回されることがある。まわりと咬み合わない、木で鼻をくくったような態度を取られる、理不尽なことにきちんとクレームをつけられない・・・その理由が納得できると、例えば怪我をした足をかばって歩いた結果腰痛、みたいなことだと思えば、違う行動がとれるようになる・・・気がする。

本で学習したNG行動を抑制しながら人と合うと、別れた後に猛省しなくてもすむ。つまりニュートラルってなに?というところを最近の読書で学んだ。情報で入ってもなかなか行動に反映させることはできないものだけれど、ズバリ!こまっていたポイントを指摘してあったので、経験的に理解できた気がする。ニュートラルとは何か?

ピラティスの某スタジオ取材に行ったら、ピラティスでは「曲がった身体を整体して心もニュートラルな状態にする。」らしい。インストラクターは人のボディラインと動きで「心の悩み」がわかるんだって。この取材でも思ったけれど、ずっとニュートラルでいること、の価値は大きい。思い返してみると、子どもの時からうまく行くときはいつもそういう状態だった。結果を出すケースはまるで沼の底にいて、水を通して聞こえる遠い音に耳をすませているみたいな深くて静かな精神状態だった・・・力が漲るあのかんじ。

心の中にある憤怒、根拠のわからない激情を逃し、なだめてひとまず隅っこに座らせる。悟りとか祈りとかに近いかんじ。
人に会う前に、外国語のドリルを延々やったりするとニュートラルスイッチONになるみたい。
今はこの技が効いているので、しばらくは自己啓発本はいらないかもしれない。

とはいえ、数年毎に噴火、どこかの山と同じ。