25年

私が彼と付き合いだしたのは、チェルノブイリで何かがあって、それがどれだけ恐ろしい事態なのか、わからなかった春のある日。
理由もなくただただ彼といたかった。どんな関係でも、一緒にいられるならそれでよかった。でも期限が迫り、他に方法がなくて、長い長い片思いを破って「付き合ってください。」と言ったのだ。その日から何日、何週間、何ヶ月と、数えつづけ、いつか来る終わりを怯えながら待っていた。あの悲しい予感は、原発事故の不安な空気と一緒に記憶している。
そしてチェルノブイリから25年たって、私はまだ彼のそばにいて、続く地震や、水や空気や、日本の人たちのことを気にかけている。年月というものは、なんでもない毎日が重なっているだけのこと。でもひとつながりの時間は愛おしくもある。

また歩き出さないといけない。毎朝、そうだけれど。