60年代の自由

テーマのダバダバダで有名な、クロード・ルルーシュが破産寸前で撮った「男と女」という映画がある。これが成功して、彼はその後60本以上の作品を撮る信用と財力を得た・・。

女が夫と死別していても、恋人をもつことは、背徳的だったのか?それを美しく、ひと時の恋物語として描いてしまったことが大胆だったのか?予算がないから、一部モノクロとか、照明器具がないから、遠まわしとかいうのが、プラスに働いて、映像も斬新だったようですしね。不倫じゃなく恋愛映画として、世に送りだしたのが、新しかったんだろう。

でもルルーシュが、渋いジャン・ルイ・トランティアンや、美しいアヌク・エメを使ってゆめゆめしく飛び越えてしまったモラルの砦は、いまやある意味遺跡のようなもの。全人類がジャン・ルイやアヌクではないってことは、21世紀も変わらないけど。

60年代よりも、ずっと自由なんだろうか、我々は?

実際は、大人になって生活に追われていると、恋愛なんて、フィクショナルなものになってくる。子どものとき憧れた夢物語の感覚に戻ってくるかのように。ありえない、目の前にはない、もの。死海で魚を釣るがごとく・・・万が一、死の海をひそかに生きてきた奇跡の魚も、したたかで優雅で、そんなチンプな餌にはかからない。

空を飛べないように、星をつかめないように、人生には限界があるってことを大人はちゃんと心底わかってなくちゃいけないんだろうな。

★といえば、何万光年も旅をしてどこかの惑星に行く・・・というくだりを本で読むたびにどこからも出発せず、どこへも到着しない宇宙船宙ぶらりんの世代が何組かあるわけだなと思って、気の毒になった。途中の人たち。60年代生まれって、そうじゃない?