暗いところにいたい

子どものころ、1人でいるときは、夕方になっても電気をつけなかった。暗いところにいるのが好きだったから。でも親はそうしていると怒って「なんで暗いところにいるのか!」と家中の電気を煌々とつけてまわる。1人でいる子どもが、電気もつけずにいるということに、何か反抗的なニュアンスを思って怒ったのかもしれないが、それは違う。目が慣れると、ようやく物の輪郭が見えるくらいの明度が純粋に好きだっただけ。くっきりと物が暴き出されるような蛍光灯の光は、冷淡すぎる。今もそうだ。できたら、ろうそくか、ランプか、熾火の光か、月の光で暮らしたい。きっと心が安らかになるだろうに、と思う。それはでも、贅沢なことなんだよね。

連れ合いは、明るいのが好きで、どこでも蛍光灯をつけてまわる。いつも、食卓も、居間も寝室も白くて昼間のような光で照らしたがる。帰宅してきて、暗い部屋で、スタンドひとつで仕事をしていると、「なんで暗いところにいるんだ」と電気をつけまくる。どうして?暗いことは、いけないことなのか?どうして?わからない。

デヴィッド・ストラザーンは、映画に出てくると完璧に成熟した大人の顔なのに、ゆえに?間抜けな役が多かった気がする。「激流」ではメリル・ストリープに性別を強制変換されたかのような弱気なパパを演じていたし(最後にがんばるけどね)助演、二枚目、腰砕け的なイメージがあった。でもgood night, and good luckでは、堂々の主役。しかも苦境に立っても負けが決まってもけしてひるまないハードボイルドなジャーナリストを演じて、50年代風のヘアスタイルが、古風な顔を際立たせ、あまりにもそつなくカッコいい大人の風格。人物の個性がしみじみ演じられるタイプの映画ではないが、ある歴史的な告発、アメリカのジャーナリズム史のカリスマになりきっている。やればできるじゃん!彼をこういう方向性でいわば「当たり前」に使うことを思いついたJ・クルーニーはさすが。つうかひょっとしてバジェットの問題だった?でも大成功だったからよかった。サントラがすばらしいと思う、ダイアン・リーブス最高。
Until you will have stolen my heart, how high the moon.