隠れたら最後

たまには、誰かに見つけてもらいたいと思っていることに気づく。どこかにじっとかくれていて、「見つけた!」と言われたいと思う。うっかり「かくれんぼ」なんかに参加すると、最後に忘れられてしまうような子どもだったことを思うと、それはとてつもなく贅沢なんことなんだな。でも、願いごとをかなえてあげようと言われたら「私をさがしている人を見つけてください。」とおねがいするかもしれない。

仕事でも、私事でも、誰かを見つけて近づいていくのだけど、水が高きから低きに流れるように、会いたい人は、会おうとする人よりもポテンシャルが高く、そういうオファーはリスキーだ。このごろ、そういう勇気を使い果たしてしまったような気がして、しばらく人に会う努力なんてしたくないと思う。

こういう風にエネルギーがなくなってしまっているときに、効果のあることって何だろうか?オリンピックは効果ない。手仕事がいいのかもしれないと思って、書類や伝票を分類したり、ファイルしたりしてみる。いつもしない場所の掃除をしたりもする。何冊もたまった未読の本を読む暇があるといいのに。家の雑事に追われてそれはなかなかかなわない。心が疲弊していると、なぜか港や空港に行きたいと思うのはどうしてかしら?

どうして忌野清志郎は、目の上を緑に塗っているんだろう?

昨日の夕飯
牡蠣のぺペロンチーノ&イタリア直輸入のパルミジャーノ・レッジャーノを直径1メートルもある固まりの真ん中から切り出してもらった100グラムから削って
ブロッコリーの卵ドレッシング和え、チリワイン(赤)

本日の夕飯
水炊き うどん フランスワイン チーズ
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