正義はかわいい

80年、少女だったころガッチャマンはある種のテストケースみたいなかんじだった。つまり「大鷲のケン」か「コンドルのジョー」かというところである。

中にはいたかもしれないが、ミミズクの竜やベルクカッツェ、レッドインパルス隊長などは、コムスメの守備範囲を出ている。もちろんツバクロは子ども、白鳥は女だから、つまりケンorジョーという問題。

私の記憶の限りでは、早熟な美人はコンドルのジョーが好きだった。暗い過去を背負う、翳のあるハンサムな彼に恋をしないと半人前のような気がした。翳と暗い過去ならベルクカッツェがズヌケの一番だけど、ジョーのあの尋常じゃないタツノコ・ボディーと、ニヒルな発言と反発精神、屈折した正義感が少女の恋心をくすぐるってわけ。そんなセクシーなタイプなのに、ジョーには女がいない、いなさそう。ケンにはジュンがはりついていて、アニメとはいえ人のものは嫌だなみたいな潔癖さもあった?

ま、しかし美人でも早熟でもない少女時代、若い男全開のコンドルのジョーに共感できなかったので、ガッチャマン話には参加できんなと思っていた。

男の子は(10歳以下)は断然ケンなのである。リーダーだし、強いし、疑いなく正義感をふりかざし、きれいごとを言う。一番良さそうな飛行機にのっているし、日の当たるところを歩いて、ジョーのひねくれ根性を受け入れ、評価する度量と明るさがある男だから。桃太郎のように。私は、テレもせず正義を語るケンのガンコさや退屈、孤独を案外深く愛していたんじゃないかな、かっこ悪いから友達には言わなかったけど。

それは、スーパーマンを見て思った。正義はかわいいって。

今回のスーパーマンはまるで曇りのない鉄壁の正義感で、あきれるほど正義を貫き通す。さらに価値観が多様化する21世紀的なセンスで勧善懲悪を取り扱いのは難しいものだと、実感した。B・ジンガーは、すれすれにキリスト教的二極の世界で闘うスーパーヒーローを殉教者のように描く。そうなのよ、まさに超人的な利他主義者で、身を粉にして人のために働く、正義バカである。宅配正義、24時間営業の正義。

今度の悪役もドライでビジネスライクで、カラリとした冷徹さ、浮薄で残忍で極悪でいきいきキャラが立っている。ほかの作品でもそうだけど、悪魔的な人間というものが、面白くてしょうがないんだろう。しかし、この極悪人でさえ、スーパーマンに比べればはるかにこちら寄り。神のごとき正しさより、悪はずっと人間的だもの。

Bジンガー、圧倒的によそ者だってことの孤独や「正義しかない男」の愚鈍さ退屈さを愛しているんだろう。コミックスそのものの外見をしたカンペキ美しいタイトルロールといい、今度のスーパーマンは、なかなかよろしい。

空を飛べて、強くて、ハンサムで、正義漢でそれを貫く力があるっていうのは、カッコいいもんね。年をとってようやく堂々といえるけど、おばさんは正義っていいと思うわ。大鷲のケン素晴らしい。