忘年会

長らく、組織とは無縁な生活をしていたので、忘年会!久しぶりに参加しちゃいましたが。この頃ちょっと躁傾向なので、いろいろいらんことを言ってしまったかも。

外注さんだし、まさか本当に呼んでもらえるとも思っていなかった。

そのチームは大学のサークルっぽいかんじがある。ベンチャー文化って、限りなくそういうかんじがあるんだろうか。あるんだろうな。

来年は「文化」の年なんだと、忘年会にきていた見えないものや、未来が見える人が言っていたので・・・ 文化かあ。

5歳の時、一度だけ金輪際ないくらい「いい湯」に入ったことがあった。うちのお風呂はいわゆるガスで炊く木の桶で、シャワーもない古風なものだったんだけど、洗濯機のホースを外して水をうめて微調整するわけ、温度。あるとき、すごく水のうちから暇だったから、入っていて、だんだんに温水になった水の帯が体の上のほうからぐるぐる廻ってやってくる。らせん状にだんだんお風呂の温度があがってくるのを待っていて、「これ」というところでガスを消したら・・・もうできればこのまま一生入っていようかと思うような絶妙な温度になった。

子どもだからソレの温度を測っとこうとか、思いつかなかったんだよね。でも体とお湯の境界がわかんなくなる、もうちょっと皮膚が溶け出してんじゃないかと思うような気持ちのよさで、快感というのはこういうことを言うのかと、今でもあの「快感」が心の底にあって、多分これが私がモノをつくりたいと思うことの原点なんじゃないかと・・・あの風呂の温度はいったい何度だったのか?世界と私が完全なる一致を見た、あの瞬間を自分でつくりだすことはできないのかと?クリエイティブの宇宙には、あの「超絶温度」への法則があるのではないかと、思い続けているんだけど・・・そしてモノを書きながら、世界が隠し持っているカギを探しているのだ。

書けば書くほど実は遠ざかって、どんどん迷い道に入っているのかも?とも思う。
言葉というのは大雑把だから、実はそうとうな取りこぼしがあるのだ。でも乱暴な道具なくせに説得力があって、本当は大事だった部分も、言葉が取りきれなかったニュアンスを人に捨てさせてしまう力もある。言葉というのは、諸刃の剣なのだわ。

そうそう薬事法って、告発されなければ、罪にならない法律なんだって、地下鉄で若い人が言っていた?話が途中だったけど、薬事法を気にするような「健康食品」の仕事をしているのらしい・・・あやしいなあ、年末だしな。