さて、思い切ったことを言い切ってやるぞデー

いつもこそこそしているわけだが、大言壮語をぶっぱなすことにした。やけっぱちなのだ、今日は。

クラシックファンの方にしてみたら、モーツアルトはどうもピンとこないなんていうことは、ケツに殻のついた未熟なやからに言われたくないわい、というようなことなんだろうけど、殻もカラザもつけたまま、やはり思うのは、ナンカあの人外していないか?ということなのだ。

「喜び」とか「悲しみ」「恨み」「恋心」というのは、素人でもヒヨコでもイメージしやすい感情だと思うけど、モーツアルトってわざとその気持ちっぽい音を使わないで、作曲しているの?恨み骨髄の歌詞がまるで春のピクニックのようなメロディで、恋の高まりを、退屈な説教のような抑揚で唄われるのが、イライラする。わざとツボを外して、でも耳から入る歌詞は感情を語らせて、異化効果を狙ったりしているんだろうか?ソレが複雑にしてアンビバレンツな人間感情をリアルに表現していて、高度なんでしょうか。単純にアリアでもなんでもこの曲好きだなあ、と思う曲がなくて、だから、きっと体質的にピンとこないのかも。耳が優雅にできていないのかもしれない。音楽バカとしての彼の生涯はすごく面白いと思うけど。

素養はないんです、ただいろいろな場面でモーツアルトを聴くたびに、なあんかどうしてだろうな?って思うだけ。いまや人だけでなく牛も酒も聴いているわけだけど。

「別にどれでもいいけど、決めろっていうから、じゃあこれ」というエライ人の意見で、世の中のほとんどが廻っていることも。だから褒められて喜んでいる人をみると、なんかだんだん切なくなるじゃん。

モーツアルトは天才なんでしょ!いいじゃん、それで。