土鳩心

ふと道路に横たわってみたことがある。まだ若くてお金がなくて、この先どうやったら生きていけるのか、見当もつかなかった頃だった。

何かで読んだけど、一度でも地べたに下りてしまった伝書鳩は、もう二度と使い物にならないのだそうだ。人間も地べたに寝転んで、眠ってしまえるようになったら、どんどん境界を越えていってしまうんじゃないだろうか。通りを歩く人の足首を眺め、道行く人の顔を下から見上げて数分、自分の底を見たような気がした。案外しぶといのだ、このぶんなら、すぐに抵抗なく残飯をあさることができるようになるんじゃないか、どこまで堕ちても生きていけるんじゃないかと、思った。そうなったら見上げるのをやめて、目線の先にある潰れたパンをめざすのだ。とういうわけだ。

造形上、下から見あげると人の顔は醜く、より残忍なかんじに見えるというのも、地面レベルの発見だった。むろん、うら若きデブの私を誰も助け起してはくれなかったしね。こういうとき、「どうしました?」とかって手を差し伸べて助けてくれる人がいたら、好きになってしまうでしょうがね。それはやっぱり世の中は強固なる常識で推移している。

そのあと「髪結いの亭主」を渋谷のルシネマに観にいったんだったな。

もうひとつ、地面に横たわっているとめまいがしてくる。それは土の上や草原ではとくにそうだけど、地球にとりついて廻っているようなかんじがする。子どものころ、それこそ3歳くらいの時は、本当によく日光で温まったコンクリートの上や、公園の土の上に腹ばいになって、なんだかとてつもない大きさなために、丸くても平らにしかかんじない地面と廻っているような錯覚(事実?)にうっとりしたりしたもんだ。

要するに、地面が好きなのね。