ナイトな手助け

こないだ、家族で山に登ってきた。つっても御岳山なので、軽いトレッキング。でも、腰を痛めて以来、初めての登山で、待ちに待ったというかんじ。時々高いところの空気を吸わないと、気が変になるような気がするんだもの。

下の子もだいぶ歩けるようになってきた。山道だっていうのに、すごい早足で、崖や岩山もほとんど猿のように嬉々としてよじ登る上の子のペースで、子どもたちはどんどんどんどん先に行ってしまうので、もう必死で追いかけるという逆転状態に・・・二人とも大きくなったんだねえ。山の草木の名を教えたり、その場しのぎで山の神様の話をしたり、歌を歌ったりしてようやく気を引きながら、1人の手を引き、もう1人をしばしば背中にしょって歩いていた頃が懐かしい。

しばらくして、岩場のくだりで、足元が危うくなった瞬間があった、でも持ち直してホッとしたら、夫が「ありがとうございます。助かりました。」と私の後ろで言っている?誰に?何をありがとう?すぐに
後ろから背の高いヨーロッパ系の青年が「いいえ、どういたしまして」といってすれ違っていく???

気づかなかったんだけど、夫が言うには私がひっくり返りそうになった瞬間、すれ違いざまに私のリュックを一瞬持ち上げて、転ばないようにしてくれたんだって、その人が。よ〜く思い出して見ると、わずかに体が浮いたような気もする・・・わあ、恥ずかしい!「だからお礼を言ったんだよ、助けてもらえてよかったね。」助けてもらっていることにも気づかなかったなんて!恥ずかしすぎる。しかも大人なのに、夫がお礼を言うなんて・・・それもかなり恥ずかしい。「下りは危ないから、僕の後ろから来なさい。」とか言われて、ちょっと「むかっ」とするけど、しょうがないテイタラクである。

助けてもらうのなんて、大嫌い。

ここで「ごくろう」とかいう心境になれないから、お姫様は無理。

ファウンテンという複雑な恋愛映画の一場面で、ヒュー・ジャックマンのナイトが命がけで主君のスペイン女王のために「永遠の命の樹」を探しにいくんだけど、すごい数の敵に1人で立ち向かっていくというのがあった。彼女のためなら命などいらない!破れかぶれで火がついたように必死な顔!いまどきの強い女性でも、その犠牲の精神というか、命がけで忠誠を誓われると嬉しいのかしら?愛を命で購って証明してみせるっていうのは、わかりやすいけど。

そもそも雄性っていうのは、受精の時からして目をつぶって突進するべし、というようなところがあるのかもしれない。ナイト精神というのは、精子のレベルから備わった雄の核なんだろうか?気の毒に。

「犠牲」だなんて!げげ!気持悪っ!って思う私は、絶対にお姫様にはなれない。

そういうナイト精神って、まったく理解できない。