桜恋しや

昨日、NHKEで表千家の夏のお茶の番組をやっていた。惜しみなく千家のお宝を見せてくれるので、あまりにも面白い。その中で、千家十職の土田家が紹介されていた。茶いれの茶巾をつくっている家で、途方もなく長い年月同じ仕事を延々と受け継ぎ、現当主で12代目。

ふと画面の片隅に映ったその奥方から目が離せなくなった。すごく美しい。私の中の女性メーターの針がふりきるほど綺麗な人だ。当然60近いと思うのだけど、京都らしい、なんともいえないもの柔らかで小作りなお顔立ち、福々しくかわいらしく、乳白色の光にぼんやりつつまれているみたいな・・・冒しがたい気品。

政岡憲三の描く「桜(春の幻想)」に出てくる舟遊びの少女のような。今日日の美人も美しいと思うけれど、肝に感じるような、しみじみため息の出るような奥方だった。土田の当主はどういうことであの人をお嫁さんにしたんだろうか?小さな茶入れをつつむ袋物師、小さくて美しいものを作る仕事だから、奥さんの美貌にだってこだわったんだろうなあ・・・こだわりの奥方というかんじ。小さくて美しい、完璧な京都美人だもの。

「また、道具屋」と祖母がちょっと忌まわしげに言っていたので、なんか悪い人たちなのかと思っていたけれど、そんなことはないわけだ。芸術家とスポンサーの構図があるってだけのことだ。家元がいて、道具屋がある、流派に楽しむ人はそれ相応のお代を払い、文化そのものを支えていく。そこへ参加するかしないか、という価値観の問題なんだろう。

魔性だというけれど、その道は。

多分、テレビで宗家がお濃茶に使っていたあの黒楽は、最低でも300万は軽い・・・まさか国宝?映画の「利休」も「豪姫」も国宝を借り出したんだそうだけど、勅使河原監督だけに。

それにしても、小さな華奢な手指を動かして、稼業の縫い物をしている姿、うつむいて、にこやかに。旧家の奥方だけに、あの人が実はキツイ人で、意地悪で、とんでもない小母さんだったとしたら、恐ろしいけれど。お嫁さんにするなら、あんな人がいいな、と女ながらに思う。

政岡憲三は、戦後はあまり語られないアニメーターだが、私は惚れ込んでいる。「くもとちゅうりっぷ」http://www.youtube.com/watch?v=EH1v4vkUBt8の中で、天道虫の少女が歌う唄を暗唱できるくらい。1943年公開なだけにプロパガンダな作品ではあるけれど。

戦後、物のないときに作られてお蔵入りになった「桜」は、舞妓さんの舟遊びや妖精のような蝶々を桜ふぶきのなかにうっとりと描き、たおやかに動かす至極芸。この世のものとは思えない美しい存在というのは、ただそこにいて生きていてくれるだけで充分だと思うようなことを言うんだと思う。

美しい少女という至極の存在、それをすでに政岡にばっちり絵に描かれてしまい、自分にはもうやることがなくなったではないかと、傲慢にも思ってしまうくらいである。