テイタイ中

10月に初めての子どもを産むという友人の買い物に付き合った。

40代の初産というので、賢い彼女でも、ちょっとは不安があるようだ。なあんとなく、これくらいかなあ・・・というところに買い物の目処をつけるのを手伝う。母親業というのは、やってみると「フレキシブルで適当」なもんだ。相手はなにしろ予測不可能にして、虚弱な生き物で、しかも状況は刻一刻と変わる。はじめは「寝てるだけ」の完全受身体制だったのが、だんだんとカマクビをもたげるように、主体的な存在になってくる。実際にはお休みなしで毎日食べさせ、尻をふき、耳の後ろを洗い、パンツをはかせ、名札をつけて、「素晴らしい」とホメちぎり、「どうしてお母さんは怒っているか」を話して聞かせ、「あなたならできる」と励ましては涙をふいてやり、一応の自我が形成される10歳ころに一段落。その後は、見守りながら、少しずつ手を引いていくという・・・これは難しいよ、実感として。

彼女は長いキャリアを軌道修正して、一度休み、子供を育てるんだそうだ。代替要員の難しい責任のあるポストで、若手を牽引していた立場なだけに、職場でも大いに復帰を期待されていて、順風満帆の有給休暇ということだ。

いくら周到な環境で、自信があっても、多分この育児休暇の間に人生がテイタイしてしまっているような気がするに違いないと思う。特別な才能も必要ない、評価などされず、責任ばかりとらされる。自己評価が難しい。これまで10数年母親をしながら、仕事を続けてきたけれど、社会の上空をホバリングしているような感じで、いつまでこのまま上空に留まっていられるのかを、冷ややかに観察されている気がしてくる。最近、やっと出口が見えてきた母親実働期間だけど、ここに来てカンペキにテイタイしてしまっている。前に進む気配がない。これまで機動力のせいにしていたけれど、本当は使えないだけ、今頃わかったのか、と?

もう書いて稼ぐ手段がなくなってしまうんだろうか?ようやくどうにか揃ったお道具が使えなくなるのか?さみしいことだ。この夏は、不気味なほど静かで、ついに秋には仕事が尽きてしまって、本気で違う仕事を探さなくてはならないかなと、気が気でない。

小川さん助けて!物語の役割 (ちくまプリマー新書)