花婿が全員小出恵介に見える

最近、レストラン・ウェディングのカップルをよく見かける。エントランスでプロがついて写真を撮っている場面。花嫁はいかにも人生の経験を積んだ押し出しで、心持あごをあげて、堂々たるものである。カメラマンのいいなりになって、顔の角度を変えたり、一人写真を別撮りしてはしゃいでいるのはお婿さん。おしなべて花婿の方が可憐に見えるのはどうしてなんだろうか?

単純に前髪のせいじゃないかと、思うのである。

このごろの青年は、前髪を下ろしている。ほとんどの人が小出恵介に見える。結婚式の装いに身を包むと、全員が小出恵介に見えるのだ。若さ至上主義の日本では、とにかくどうやったら若く見えるのか、どんな場面でも工夫するわけだが、ああいう大人なんだか子どもなんだかわかんない髪型をしないではくれないだろうか?若い=溌剌というならいいんだけど、なあんか若い=かわいい坊やみたいなんだもの。

前髪というのは、日本人は大人になったら下ろしていてはいけないのだ。それには諸説あるだろうけれど、往々にして童顔な場合が多いので、顔を縁取ってしまうと、なお幼く見えて、人によってはいくつだかわかんなくなる。でも顔を丸出しにすれば、年齢とか経験とか隠しおおせなくなるので、責任をとるべく堂々とお前の顔を見せておけ、というのが日本の大人の作法なんではないかと思わない?男はだまって、前髪を上げろ。上げてくれ。サカヤキを剃れとは言わないから、世の中のために前髪はあげようね。

美人はロングヘアというのもある。

末摘む花という女が源氏物語に出てくるけれど、あばら家に住む貧乏貴族の娘で、後見もなく、しかも醜女というので、誰も寄り付かないでいるのだけれど、物好きな光源氏が彼女と関係する。ブスだけど髪だけは長くて豊かで美しいというのだ。それが意味するところといえば、人には何かしらとりえがあるものだ・・・ということに落ちる気もするけれど(当時の栄養状態を考えると、彼女の遺伝形質には支配階級としての美点があったということだ。)

それはともかく、バックシャンというのもある。髪が長くてつややか美しく巻いていたら、あるいはさらさらと風になびいていたら、すごく綺麗な人だろうと思う、反射的に。振り向いて「びっくり」したとしても、あんなふうに髪を手入れしている人は、さぞエレガントで細やかな女性であろうと評価はセカンドステージに留まる。髪にかくれて美人に格上げということがあるなあ、だから美人は髪が長い。

ベリーショートにしてしまう人というのは、よほどの美人で髪などなくても顔立ちに自信があるか、忙しくて髪に構っていられない、女を捨てている、などということになるわけだ。

生まれてこの方、肩から先に髪を延ばしたことがない。家族で一番短い、こともある。私の場合は、童顔の男顔なので、美醜に関係なくの必然。でも、顔を丸出しにすることで、世間と勝負をする気分になることはある。逃げも隠れもいたしません、ってかんじ?