ホコリ、チリアクタ・・・ヒカリ。

ハンマースホイが憂鬱だというのは、あまりにも健康的すぎる感覚だと思う。10歳までの人生を半分、布団の上ですごしていたコドモ時代に、私は午前中の雨戸から差し込む光を眺めてすごしていた。ヒカリというよりは、ホコリチリアクタが空気に舞踊るのを、細いアサヒで眺めていた・・・というかんじ。その静かで平和な光のムードが、この絵にはそのまま映されている。コドモ時代に好きだった美しい光景、まるであの憧憬なのである。

時に、コドモというのは人を変えるものだなあと思う。

コドモをもつ前に知りあった人がいて、その人はとげとげしてぶっきらぼうだった。ああ困ったなと思ったものだ。私は自我が弱く、他人の感情と自分の感情の境目がわからない傾向がある。不機嫌な人の近くにいると、どんどん萎縮してしまう。いい仕事ができなくなる。だから不機嫌な人は苦手。もっとも他人の感情を無視して、自分の気持ちだけ保って鉄壁でいるのも、あまり洗練された人格とは思わないけれど・・・。

その人が親になった。

そのタイミングで再会した。まだぶっきらぼうだけれど、ちらりと温かい柔らかな感情が現れてくる。なんだ、本当は気持ちの柔らかい人だったのか、どういうわけでロックされていたのかわからない、そういう感情が、きっとコドモができたことで解禁されたのかもしれない。コドモの力か、パートナーの力か。人間は変わるものなのだと、思う。

なんだかちょっと嬉しい。