本当にひどい年だった。

2008年は、ほとんど9月まで存在しないも同然だった。毎日悲しかった。

社会人になって初めて丸3ヶ月、仕事がなんにもなくて、6月から、どうやってったらいいんだか、まるでわからなくなっていた。友達を捕まえては、出口のない文句ばかり言っていたので、ほんとうに自分でもいやになってしまって、このままやっていくんならば、道でゴミでもなんでも拾ってお金に換えるとか、なんとか、やっていく方法を何か考えないと、喰いっぱぐれるだけじゃなく、狂ってしまうだろうなと思ってたし、もうだいぶ気が違っていたようなかんじもあった。私なんてもんは、誰にも信じてもらえないし、世のなかで腕一本で喰おうなんて土台無理なんじゃないかと思ったりもした、これまで運がつきすぎていたんだろう、とか。

亭主がいるんだから、喰うには困らないだろうと、人はカンタンに思うだろうけれど、そうはいかない。それはそれなりに、私のいくばくかの稼ぎもくらしに組み込まれているし、いろいろ事情もある。脈のありそうな人には、恥も外聞もなく「仕事をくれ」と言って回って、営業もしたし、売りこみにも出かけたし、でも成果がなくて、もう物書きじゃだめなんだ、と思って、必死で40面を下げていまさらに畑の違う仕事の面接にも出かけ始めていたころ、ようやく声がかかった。その人は私を指差して、
「お前は季節労働者なんだなあ、秋っていうと忙しがっててさ、毎夏は暇そうに干されてるじゃないか。」と笑っていたけどさ、そんな、3カ月も仕事がないなんて初めてだったよ。本当に息の根をとめられたかと思ったよ。おかげさまで、それを呼び水に、また仕事が増えてきて、9月からはそれなりになりました。

今は仕事があるけど、明日はどうなるか、誰かさんの胸の内って意味じゃ、前と変わらない。
ただ、今年の前半と今が違うのは、あるときから肚の底に何かが棲みはじめて、それが「人が信じてくれなくても、本当はどうでもいいんじゃないか」と妙な明るさを発していること。光源もない暗い心の中に、芯がレンズのように光をあつめて明るい場所をつくっている。根拠のない、明るいはずむような、何か。

まだ私は、何をしたらいいかわからないけれど、やり残したことがある。それが何かわかるまでは、どうしても降りるわけにはいかない。まだ生まれてもいないそれが、長い棒でツンツンと私を眠らせまいとしている。

無駄だと思うけどね。