児玉清がほめたから

児玉清という人は、俳優としては一色で、だいたい賢者の立ち位置で、軽くアウトサイダーな雰囲気。子どもの頃からちょっと好きな人だった。あの整った顔立ちと中庸な体つき、静かな声。全体に淡々と穏やかな感じがすごく好きって思っていた。多分、多分だけど実際は案外男っぽい人なのかも?とも。インタビューをしたという人によると年齢に関わらず書生気質の人だった・・・ということだそうだけど。

今は書評の方でも一角のもので、週刊ブックレビューだもの。
で、その児玉さんが「男らしい主人公に惚れた」というので、素直に読んでみたクルーガーのコレ[rakuten:book:13132042:image:small]

うーん、ただ児玉さんの「男らしさ」の定義が知りたかったんだけれど、この小説の主人公はそう勇猛果敢なわけではないし、中年で妻を愛していて、子どもが3人。平凡な元警察。半分ネイティブアメリカンの男。そのオジブワ族というネイティブアメリカンの血が彼を明暗の両側から支えている、その一点ロマンチックなかんじはする。アメリカは西欧文明の権化であると同時に、それに矛盾する広大で制御不能大自然をたたえている国でもあり、そうだとすれば、ある意味アメリカを象徴するような、なんだか。

穏やかで安定した陽だまりのような人格でありながら、どこか彼自身にもわからない闇もある・・・みたいなこと?その闇は人が森で暮らしていたころの名残?尻尾みたいなもの?男っていうのは、そういうものである?うーんまあなんだか。わかったような、そうでもないような。

あんまりよくわからなかった、でもよく言うあいまいさの中にある「男の本質」みたいんなことが描かれていて、そうそうはっきり行動できないような状況のマトリックスの中でも、なんとか道をさぐって行動するようなこと?頭のよさではない、何かの力みたいなこと?未解決・・・不明瞭。


いつも思うんだけど、身の回りの男が自覚しているらしき「男らしさ」の中には、いつでもこの不明瞭で曖昧なままでいる・・・ということが含まれる。答えを出さない、それって女の思う男らしさじゃないんだけどな。