女の手


手は人を語ると思う、やっぱり。物心ついてからずっと、止まらずに働く手、実用一点張り。文章だって頭よりは手が書いているようなもの。生活を支えるいじましい小さな手なのだ。でも全く美しくはない。

こないだ会議の途中、隣に座ったうるわしいクライアント嬢の手を見ていた。きめの細かい白さ、指の長いふっくらとした手。見とれてしまう。生活感のない、美しさのために存在するような。多くの美しい人は、手がきれい。
きれいだから手もきれいだし、手がきれいだから美しい佇まいをしているんだと思う。

別の人は顔もスタイルも美しいし、肌も抜けるように白くて、手指が長くて華奢。ひらひらと動かすと、プロが施したマニュキュアもあって、体の一部を逸脱してアクセサリーのよう。指が働くのは、ケイタイのキーを押すとき、あれが欲しいとショーウインドーを指差すとき。あの手と手をつないだら、ものすごく純度の高い「女」を感知してしまう、120%女、ノックアウトというかんじ。

肌質よりは生活、今度生まれ変わったら、女の手で生まれたい。