母とコドモ

母はとても「奥ゆかしい人」なので、友達に対しても一線を引いている。彼女が誰かを好きだとか、特別な好意を抱いているということは、とても私にはわからない。唯一、彼女のご機嫌をまったく恐れずに熱い友情全開でたずねてくるのは、親友の洋画家氏だけだ。あとの人は、余命いくばくのない母のプライドを汚すことを恐れるかのように、病室にやっては来ない。来ないけれど、連絡をしてきて、プリンだの、薬湯だの、ルルドの聖水だのを届けてくれる。

ある夜、病院にいたら、電話があった。車で行くから待っていてくれというので、病院前の三叉路で立っていた。
「まあ!あなたったら、お母様にたたずまいがそっくりね!まさかそこに立っているかと思っちゃったわ。」
左のドアが開いて、初老のマダムが微笑む。手には大丸で買った上等のマンゴープリンをもって。

そうだろうか?と思う。少しは似ているだろうけれど、母は子供の目にはとても涼やかな女性で、60を過ぎても博多人形のような容貌を保っていた。母の自慢の冒険談は、若いころ文人茶の野点で、ある画家に「モデル」を頼まれたという話。女癖の悪いその男の「ミストレス」にされたら大変だといって逃げ帰ったんだそうだ。私は土偶のように不器量なのだ。そんなこと。まあ、暗がりでの佇まいが、というところがミソなんだろう。

一方でわが子を見ると、私を飛ばして母によく似ている気がする。博多人形のような顔立ちも、気分屋でプライドが高くて、いつも人任せな雰囲気といい、自分だけいつも「不幸そう」なフリをするところも。

二人の女に挟まれて、貧乏くじをひいたように思うこともある。