身体というもの

母が危篤状態でもう二日目になる。
ただ呼吸をして、半分開いた目で、ときどきうなる。意識はあるみたいなんだけど、反応がない。医者は「聞こえています」というから、滅多な事は言えない。不自由な体の中で、意識ははっきりしていて周囲の人間のおろおろ加減や、気の利かなさかげんに不機嫌になっているんだろうか?と思う。

でも内臓の機能不全は、私にはどうすることもできないんだもの。苦しそうかどうか?これはよくない状態なのか、それともましなのか?それさえもわからない。医者だってわかっているのかどうか?いろいろな理屈はあるんだと思う。科学に身をゆだねているんだから、理屈で管理されるのは病院の摂理だもの。

でもさ、ミニPC買ってよかった。どこでも仕事ができるし、それは生死をさまよう母親の真横で原稿を書くのはえげつない気もするけど。でもそうもいってらんないもの、外注業者だから。

不自由な機能不全の身体の中で、イライラしている?母親を想像する。前のように薄い笑顔で、片方の眉を軽くつりあげて。「そう?万事大丈夫みたいよ。でもちょっといやね」という。ちょっと浮世離れしたドライな感情。
現実より割増で自分を不幸だと思う癖。なんとなく貴族的なわし鼻。

頭がい骨の形そのものになっても、母の鼻は貴族的で、だからどんなに痩せてもなんとなく優雅なかんじがする。

昨日の夜は嵐だった。病室の窓から稲妻が見えた。