素人映画

母の命は、脳の奥に隔離されていて、でもそれがあるかぎり、彼女には命の尊厳がある。
反応がないので、意識の有無はわからない。

どうすることもできず、日がな一日母のそばに座っている。あるいは仕方なく原稿を書いている。窓の外の大学の騒音、車の走行音やJRの駅アナウンスがまざって都会のゴーとボーの混じったような、音がしている。窓をあけていると、外の世界では、ここの状況には関係なく世界が動いているんだなと思う。

時々親戚や母の知り合いが病室に訪ねてくるけれど、眠っている人を前にして、仕方なく帰っていく。難しいですよ、これにコメントするのは。

ここにいると、外の世界は素人映画の中の時間のように思える。不器用に演出されたルールーで全員がそれらしく生活してみせる。そんなかんじ。病室の中は、ただ母が眠っている。多数決が正義なら、リアリティの軍配は、断然外の騒音の中にあるのはわかっているけれど、リアルな現実はただ「母親が起きない」という事実に集約される。待っている。何もすることもない、できることもない時間にただ疲弊していく。

週刊誌もテレビも見る気がしないのに、芥川はすごいなと思う。短編を拾い読みしていると、ちょっとだけ病室から出て、違う世界にいることができる。ただひとつの単語が世界の柱になり、いつのまにか盛り上がって異世界ができあがってしまう。駅で知り合いの父親を見かけたというだけの話でも。

来週はどうなるだろう?すでにいくつかアポが入ってしまっていて、心やさしいボスや仕事仲間が「いざというとき」はフォローしてくれるというし。別のボスも「本当に大丈夫なの?」私の鼻の前に長い指を突き出して。あれはかなりわかりづらいけど、一流の励まし。大丈夫だよ。掛け値なしに侠のあるあなたと違って、親不孝な精神構造しているから。ありがとう。

命が主役で、人間は脇役。