ふくらんでいく「あれ」が怖い

異常な多言症で、感覚が言葉にならないことは滅多にない。本当は私の中の陳腐な言葉で見える世界を決してしまいたくなんてないのだが、言葉は私の気持ちには関係なく、右に左に世界を整理してしまう。あいうえおが寄せては返す砂浜・・・みたいなものかもしれない。余計なものもたくさん流れ着いて、迷惑なことだ。

でも、小さいころはそうじゃなかった。一人でいることが多かった幼少期は、よくおかしな感覚に襲われたものだ。たとえば時計の秒針の音がだんだんだんだん速度をまして、ついていけないくらい速くなり、時間の高速化が止まらなくなって気絶したり、天井がぐらんぐらんとゆがんで波打ってしまったり、なにか巨大な風船がふくらんで部屋のすみに押しつけられて動けなくなったり、リアルにそういう奇怪な現象に遭遇していた。あの感覚の正体は、単なる幼児性の神経症かなにか?だったのかもしれない。でも、毎日夕方になると襲われる「それ」を大人に説明することはできなかった。奇怪な時間が過ぎるのを、じっとやり過ごすことしかできなかった。今も、ときどき夕方になると、ぷーっと際限なくふくらんでいく「あれ」理由もなく原因もなく他に言いようがないので「不安」と呼んでいるあの感覚。あまりにも巨大なので球体かどうか確認できないつるつるで硬質な表面にとりついているみたいな。バスの中から夕暮れの古いマンションのドアを見た時、オレンジジュースを飲んだとき、なんの前触れもなく「あれ」がこころの中で膨張しはじめる。

そんなときは、誰か地に足のついた人間にしっかり抱きとめてもらいたい。大人になったんだから、そういうことなんとかできるはずなのだけれど。