負けっぷりのいい人

どう考えても不利でフェアじゃない勝負で負けた時、あるいは本当に力足らずで負けた場合も、どんなふうに負けるかで結構人間の度量がわかると思った。人間のサイズは能力に比例すると思っていたけれど、とんだ見当違いだったようだ。

なんていうか、考え方を変えれば同じ状況もいろいろに解釈ができる、どの物差しが妥当かというよりも、気にいったものを採用すればいいにすぎない。金額がついているものの価値さえ、案外気分なのだ。

どういう作戦を取っても、机上の論議では負けいる雰囲気のH氏だが、案外みんなは追い切れていないかもしれないけれど、実行レベルではH氏の計画とそう変わらずに決着している。仕事を最後までフォローすれば、会議の場ではともかく、要するに状況をリアルに把握して物を言っているのはH氏だけという、見通しに感服する。それはいつもシビアなミニマムラインで、展開も飛躍もないプランだけれど、実現レベルだという意味では、評価すべきなのだろうと思う。それに負けっぷりがなかなかに美しい。言うべきことを言って、力尽きて負ける。それもその場を納めるという意味で負けておくっていうかね。ああいう技は身につけられればすごいと思うのだわ。

帰り道、いわれのない敗北感をぐぐっと飲みこんで歩く大きな背中が哀しい。なぜか狭い歩道に立っている時代遅れの電信柱とマンションの外壁の間の狭い隙間をわざわざ通っていこうとするし。そこはその体じゃ通り抜けられないんじゃない?と思ってみていると、体を斜めにしてすっと、むこう側に抜けていく。魔法?一息おいて、半分の寸法の私もむこう側の世界へぬける。

モラル、それは何か?