青空のようなあなた

時々思い出す、いつまでも忘れられない人がいる。どういう経緯か忘れたけれど、とある街の噴水の前で待ち合わせて、ふたりで暗いカフェで話した。時間にしたら2時間もなかったと思うんだけれど、その人のことが忘れられない。人の紹介で会ったので、初対面だったし、私は気の利いたことなどなにも言えなかったけれど、そして話の内容はつまらないこと。公園を散歩していたら、おばあさんに犬をけしかけられたとか・・・そんなこと。でも、その人はまるで青空のように突き抜けて明るいところからやってきたような人だった。あまりにもしなやかでやさしい心をもっていて、一緒にいればそれだけ私までましな人間に、透明に柔らかくなっていけそうな気がした。許されるかぎりずっと一緒にいたいけれど、それはあまりにも私には過ぎた望みだったみたいだ。「また会いましょう」と言ったと思うけれど、それ以来一度も会っていない。はがきを一度もらったかもしれない。
夏になると、長野と群馬の県境の山小屋に行った。数日後に山を降りるとき、山の空気がもう吸えないこと、都会のあの塵くさい生ぬるい世界に戻ることが悲しくて、下るに連れ涙が出た。ずっと山の上で暮らせたらいい。今でも標高2000メートル以上の高地に行くと、生き返ったような、何かを取り戻したような気持ちがする。ぴったりだ、ここが私のいるべき場所だって、思う。忘れられないその人は、まるで山の空気のように、私をつよく惹きつけた。恋とは違うけれど、憧れとも違う。救済、これが一番近いかもしれない。

彼女はどうしているんだろう?今頃どこかで心やさしいお母さんになっているんだろうか?

にんげんがいるぞ

生まれたての赤ん坊の匂い、写真を見ると記憶の中にただよってくるけれど、もし私が人を食う生き物だったら、あの匂いを探して狩りをするんじゃないかと思う。生きていくうちにいろんな匂いをまとって、大人になっていくけれど、ベースにはあの甘いような酸っぱいような赤ん坊の匂いがあって、フェロモンみたいなものと混ざっていくのかも。「にんげんがいるぞ、わかいぞ!」とひとくいのセンサーが働くとき、きっとあの匂いがフックになっている。

色メガネを外す

もう4月。いろんなことがあったけれど、年度はあっさりかわっていく。ロボット大国といいながら、原子力関係のことにロボット不在なのが気がかりだった。一応あるんじゃない!海外からも借りているみたいだし。活用できないっていう意味がわからない。

年度が変わって、条件が激変することもあり、2007年10月からずっとやってきた仕事を辞めるつもりだった。誰もしらないところで宣言。同じ量、同じ仕事なのに、最初の条件から考えるとギャラは1/3以下になっていて、もうお断りするべき時期かも。先方が値下げをするのは、こちらから「その額ではできません。」と言うのを待っているのだと、それをまだ引き受けるなんて「配慮がない」ということかも。ここは過去を切り捨てて、さっぱり生きていくべき?一方で仕事があるなら、お金を稼ぎたいあさましい気持ちも色濃い。敢えて受けるからには、キリリと潔い立ち位置で仕事をしなくてはならない。

色メガネを外して、面白いものは面白い、つまらないものはつまらない。外したことはみんなには内緒で。

温かいんだか寒いんだか

こういう冬なんだか春なんだかわからない、湿っぽい日に、十分寒いのに、無理に春だと想おうとするのは、匂いがするからなのかしらん。ひとすじふたすじ、生温かいすじがが蜘蛛の糸のように、頬にひっかかるから。春は揮発性なのかもしれない。


野田秀樹は煮ても焼いても食えないと思うけれど、ある種の頭脳であることは確かだと思う。それはそう呼びたいと思う唯一の人・萩原朔美先生に寄せる信頼と同じ。どんな状況でもぶれずにしっかり機能していてください、先生。

仕事先の人から電話、用件よりも前に「春休みか」まるで詩のようだ。子供が春の選抜高校野球を見ていて、音が仕事部屋にも漏れていたから。私には息子がいて、その子が春休みで高校野球を見ている・・・というコトを一言で。詩人だね。

情熱のありか

最近知り合った体温の高い女性。春分の日をすぎてなかなか暖かくならない中、傍にいるともやもやっと温かい。彼女のまわりの空気は3センチくらい温かい。ぷっくりした白い肌といい、鞠のような体つきといい、決して太ってはいないんだけれど、高熱帯だかオーラだかに取り巻かれた彼女には生命力=熱源パワーを感じてしまう。体温高いって生物として優秀。冬場のATMでお金が引き出せない私とはぜんぜん違う。あまりにも冷え性で静脈が検出されないらしい。

いつも〈夏も)寒くてしょうがない私は、とにかく温かいものはみんな良いと思う。今頃の寒い時期に布団に湯たんぽをいれておいて、足を入れると、もうこんなに幸せな感覚はないなと思うし。夕方番茶を飲んでいるときも、熱いお茶が食道から胃に移動するのがこの上なく気持ちよくて、熱って素晴らしいと思う。男の人も体温の高い人が好きかもしれない。手の温かい人は心が冷たいとよくいうけれど、手が温かくて、その温度を惜しみなく与えてくれるなら、心なんて冷たくても構わない。温かい手が今あることがずっと大事、とか思ってしまうもの。一時が万事そうだったりして、今よければ、よーく考えるとだめでも、いいやと思うようなこと。誰かの温度に浴することを想像してうっとり。いつも温かい身体に包まれて眠りたい・・・冷たくて辛いから高温域をさがしもとめる・・・日向の石の上にじっとして、体温が上がるのをまっている爬虫類の心。トカゲの心。

最近、代謝をあげる漢方飲んでます。春が来るのも待っています。