新宿駅裏 紅とんぼ

演歌の歌詞の世界の話。そのバーの女主人は、今日で店をしめるという。

泣き出した常連客けんちゃんに「つけ払いのことは忘れていいわ、みつぐ男もいないんだもの」回収していない呑み代ももういらないのだと、ママは言うのだ。けんちゃんは、ママの悲恋の顛末を知っていて、ひそかに応援していたのか、心配していたのかもしれない。「もう最後なんだから、パーツと騒いでよ」とべつの常連客しんちゃんに振る。「たまに思い出してくれたら嬉しいわ」と、この人はきっともうやけっぱちなんだろう。つけ払いを溜め込むようなしけたお客ばかりで、大して儲かっている店でもないんだろうし、ひょっとしたら悪い男に借金を負わされて、どこかへ逃げていくのかもしれない・・・じゃなくても、すっかりいやになって、新宿を出て行くってことなのかも。人生を先へつなごうともう、思っていないから、せめて常連客の思い出のなかに少しは美しく残って終わろうかと、思っているのかもしれない。

私は子ども時代の一時期歌舞伎町に住んでいたことがある。どぶ板のすぐそばに。朝早く花園神社に早朝のラジオ体操にいく道、夜の女性たちはしんどそうに路地を歩いている、帰路だったのか。夕方、夜の明かりに照らされてイキイキとしている大人の女たちは、もやいだ白い光の中ではなんとなくもの哀しいふくれた顔をしていている。饐えたにおいのする朝。あの人たちは、どちらが正体なんだろう?おかっぱの小学生はあの路地がちょっと怖くて、いつも走って通りぬけていた。

今、「ドブ板」は若くてジャジーなバーの管理人たちで再生されているらしい。3丁目にあったKINGSBISKETも移って久しいし、男性客というよりはサブカルの温床になりつつあるのか。水商売なんだけど文科系なかんじが漂う。ずいぶん行っていないけれど、でも早朝は、まだけだるいんだろうか。