めだまやき

「目玉焼き丼」が食べたいという子どものリクエストあり。何を隠そう目玉焼きが大嫌いなので、ちょっと躊躇。子どもだけ、焼いた目玉焼きをご飯にのせ、しょうゆ、青海苔でごはんに。小さい頃、母は目玉焼きを失敗すると、私の皿に盛った。かなりの確率で失敗するので、私はめったに完全な目玉焼きにお目にかかれない。彼女の中でのヒエラルキーは明白だ。父弟自分私。だから彼女の目玉焼きが完全に成功しないかぎり、私はぐちゃぐちゃに黄身の破れた元目玉焼きしか食べられない。だから嫌いなのだ。ジェンダーヒエラルキーにおける、屈辱の料理。

ま、それはともかく。子どもは目玉焼きに凝っている。「目玉焼きごっこ」というのをやっている。「食べないで!やめて!」と目玉焼き役の人は言わされる・・・でも目玉焼きにされてしまった後で、生き延びてもなんか、しょうがない気がするけれど、結局食べられてしまう。人の口(ソファとクッション)に入って、じっとしていると、「はいごちそうさま」と言われる。それで役目が終って、今度は、ソファの下に座らされる。「元目玉焼き」は今は「う●こ」なので海に流されてしまう・・・というお話の繰り返し。海からめでたく「鶏卵」にまで循環する道筋がつくと、それはそれでえらい教育的?


なんか暗いモチーフ・・・って思うのは、偏見かトラウマか。