Barbossa

ああいう人を篭絡するには、どうしたらいいんだろう?彼は欲深く狡猾だけれど、事女に関してはなんだか淡白?それでも私はなんとかして彼の気を引きたいと思う。お話の中の海賊ですけどね。悪人としての人生経験は多様で複雑、死んだり、生き返ったり・・・エリザベスにはちょっと興味があったみたい・・・でも心を奪われるところまではなさそう。例えばあの猿が実は魔法で姿を変えられてしまった女だったりして。新月の夜だけ、深夜だけ、キャプテンのそばでだけ女に戻る・・・そういうのが似合う、密かにシールドされた誰にも知られない情事。そのためなら猿に変えられてもいい。普段の私はおしゃべりでバカだけれど、本当は口がきけなくてもいいから、秘密の女になりたいのかもしれない。

ジャック・ザ・モンキーは、いつもバルボッサの肩の上にのっかって、どこへでもついていく。昼間の女はうるさくて面倒くさいけれど、猿はそうでもない、ってことかも。人間には恋愛よりも冒険や金塊が大事な人もいる。そういう人の心は開けない。

フェロモンモン

雑誌にホルモンヌというのがあって、どうして熟年女性の美容ってこうエグくなってしまうのかって。大金をかけて時間を巻き戻すっていうのは、世の常かもだけど。で、その中にホルモンヌになるためには男の匂いをかげ、というのがあった。これ案外カンタンじゃない?お金がかからないじゃない?50センチ近寄ればたいていの人間は臭うから。もし、近くでクンクンしている人がいても、世の男性諸君はぜひ寛容に。

でも「脇」とかかがないとだめ、みたいなことが書いてあって、それは難易度が高い。ある日、相談してみる。
「ね、お願いがあるんですけれど?」「なんですか?」「あなたは寛大だから聞いてくださるかと思って・・・。」「僕にできることなら。」「あの、脇をかいでもいいでしょうか?ほんと、一瞬嗅ぐだけなので。」「それ、リサーチかなんかですか?取材とか?」
「ええ、まあ。」長い沈黙。

微妙な人間関係を破壊しかねない衝動。

私の場合、匂いか声が引き金になってしまうけれど、両方だった人は一人だけ。それまでの人生の良かったこと嬉しかったこと好きなものを全部合わせて100倍にしたくらい本能にグサッとささる衝撃で「すごくすき!死んでも確保!」と思ったな、それは。理性がなかったら、頭から食いついてたかもしれない。ガルルルも人喰も、とりあえず回避したけど。

スタンプテスト

EDを自分で調べる方法として、陰茎に切手を貼って寝る、というのがある。成人男性は寝ている間に数回勃起をするんだそうで、その時にミシン目が切れるんだって。切れてれば正常、切れていなければちょっと心配。

で、で、その切手を封筒に貼ってリサイクル♪知れずあなたのお手元に♪なんかすごい力があったりして。効くかも???
願い事が叶ったりして・・・。

ジュリエットからの手紙

http://www.juliet-movie.jp/見てきました!ヴェローナシエナ、行ったことはないけれど、とてもイタリア。葡萄畑が続いていて、チーズ、オリーブ。イングリッシュレイディinイタリーといえばヴァネッサ・レッドグレーヴというかんじじゃない?彼女演じるクレアが15歳の時にイタリアに置いていってしまった初恋の人を、50年後に探す話。ハッピーエンディングだろうなと思っていたので、クレアの心配はしてなかったけれど・・・懐かしい「あの感じ」が蘇った。

初め印象のよくない、なんだか棘々しい相手と、なぜか想像以上のつながりが生まれる経験、不思議なひっかかりかた。苦手が化けると根が深いからな。恋愛の基本だわ・・・考えや、対人スキルや見識、カラダや心の嗜好性が一致していない頃の、今も?そういうケミストリーな感じ。

それから初夏の野原で男の子の胴体の上に頭をのせてぼんやりする・・・気づくと日暮れ、なんて経験とか。そういうこの世の春を思い出す、いい映画です。素直にうがったことを考えず、見れました。

ホンマタカシ

金沢でやっていたホンマタカシが巡回してきた。東京オペラシティのギャラリー。

雪ってほの青いものだって生で見ると思う。ホンマタカシが一時期撮っていたスイスの山の写真も、なんだか青い山だった。雪の中に赤い色の何かが落ちている作品。雪がほの青いから、その赤い物もちょっとムラサキがかって見える。雪をところどころ染める赤は、血のように演出されているけれど、本物の血が雪に散らばるとどんなふうにみえるのか、知らないから、これは殺人の後なのか、狩猟の痕跡なのか、と思えてしまう。作られた現実、写真という証拠が堂々と語るフィクション。案外本物なのかもしれないが、そんなの撮った人にしかわからない。

写真はいつでも撮影する人の中にしかない。

本当に雪の中の血液は、あんなに青っぽい赤なのか?

いとしき日々よ

http://gyao.yahoo.co.jp/player/00100/v08078/v0993900000000542923/?list_id=280864
もう会えない友達。こちらには理由はないんだけれど、多分向こうは会いたくないだろうと思うから。あまりにもいろいろあって、それは厳密にはお互いのせいでもない、でも人にはどうしても逆らえない宿命というものがあって、もう会えないのだなとこの頃確信する。私にはわだかまりなどないけれど。人間関係はいつもそういうものだ。縁がなくなるときは、向こうから。どうして私には選ぶ権利がないんだろう・・・分が悪すぎる。

40をすぎると、出会いよりも別れが多くなる。一度知り合った相手も、それほど強いつながりはできない、だって大人だし、大人というものはそうそう人生をまじえることができないものだから。でもそれでもどうにかしてつないでおきたいと思う人はいるものだ。男女にかかわらず、相手にはどうでも自分にはどうしても大切だと思う人が。

それはでも、過ぎた願いだったりもする。社会的に、経済的に裏付けがあれば、根拠は強いけれど、ただ生きているだけの市井の人間には、なかなか人をつなぎとめておくことなどできない。どんなに淡い儚い短い関係でも、不可能に思える。人が権力を欲しがるのは、寂しいから。一人で死んでいくのが嫌だから。忘れられてしまうのが辛いから。

ナポレオンもそう思ったに違いない。

大谷友介

http://www.spencer-web.com/SPENCER/top.html
あーまたそんな!ベルリンに行くなんてひどすぎる。

ベルリンのあの冷たい空気、人々の温かくて乾いた心。若い日々をすごした幸福な孤独を思い出す。ジョン・ドリトルは世界を旅してのどかな牢屋につながれるたびに、運動不足でちょっと太ってしまったりしていた。あれみたいな。
誰にも邪魔されず、まあなんとなく気にはかけてもらって、一人で淡々と生きていける場所という気がする。泊まるお金がなくて、階段の下にまるまって一晩すごしたり、オールナイトの映画館でピーナッツをもらったり、東京で必死に稼いだお金を握って、憧れのベルリンへ行ったのは1989年。もちろんなんの地縁もなく、生まれた初めて母国を離れたたった一人の東洋の若者として数日、しがみつくようにすごした。

もう大人だから、できたら一年ベルリンで暮らしたい。寿命があるうちに、一年だけでいいから。
叶わぬ恋のようなものだ。